受賞作品展⽰ 作⽂部⾨
令和5年度(第60回)受賞作品

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全国都道府県教育長協議会会長賞

私たちの成長物語

栃木県 宇都宮市立昭和小学校 4年

殿川 千代

 「あら?この子、耳にアクセサリーがついているわ。」
私の元気な産声と共に、助産師さんがそう言ったそうです。お母さんと、その場に立ち会っていたお父さんは、その時はまだどういうことなのかよくわからなかったみたいです。ただただ、私が無事に元気よく生まれてきてくれた喜びでいっぱいだったそうです。
 しばらくして、先生から詳しい説明がありました。
「赤ちゃんの左耳に二つ、イボのようなものがついています。」
先生の言葉を聞いて、両親はとても不安な気持ちになり、動ようしたそうです。しかし、
「これは副耳というもので、特に耳の機能には問題はありませんので、大丈夫ですよ。」
と聞き、安心してほっとしたそうです。
 二つのアクセサリーは、私がお母さんのお腹の中にいた時にできたものだそうです。耳はとても複雑な形をしているので、作られていく過程でできる場合があるようです。
 その後、私がすくすくと大きくなるにつれて、二つのアクセサリーも少しずつ大きくなっていきました。ようち園に通うころには、少し目立つようになっていたので、
「お友達から、からかわれないかしら。」
と、お母さんはとても心配したそうです。
「耳にあるのがいやになったり、取りたくなったら言ってね。」
と、お母さんは言ってくれたけれど、私の気持ちは正反対で取りたいと思いませんでした。なぜなら、お友達からからかわれるどころか、
「耳についているの、かわいいね。」
と話しかけてもらったり、仲良くなれるきっかけにもなったからです。私はチャームポイントにもなった二つのアクセサリーのことが、大好きになっていきました。そしてついに私は、二つに名前をつけたのです。コロンとしていて、まるでお豆のような形をしているので、大きい方を「大豆」、小さい方は「小豆」と名づけました。私は大豆と小豆のことをもっと知りたいと思い、パソコンで「副耳」とけんさくをして調べてみました。たくさんの情報の中に、ある一つの記事を見つけました。そこには、「中国の方では、副耳は神様からのおくり物と言われていて、緑起が良い」と書いてありました。私はなんだかとてもうれしくなり、ますます二つのことを大切に思うようになりました。お話するのが少しはずかしいけれど、私は不安な時や心配なことがある時に、大豆と小豆をさわります。さわっていると、不思議なことに心や気持ちが落ち着いていきます。なんだか耳のそばで、
「大丈夫だよ! がんばって!」
と、声をかけてくれているような気がするのです。私のことをはげまして支えてくれる大豆と小豆は、家族やお友達とはちがう、とても特別な存在になっていきました。
 でもそんなある日、私が鏡を見ていた時のことです。ふと左耳に目をやると、あることに気がつきました。大豆と小豆の様子がいつもとちがうのです。二つとも、なんだかつるんとしていて、きれいになっています。前までは、ほんのり赤むらさき色になっていたり、根本が乾そうして少し切れてしまっているところがありました。なぜなら、それだけたくさんさわっていたからです。二つがきれいになっている姿は、私があまりさわらなくなったという表れなのです。それは私の心が強くなってきたということかもしれません。
 思い返してみると、低学年の時のことです。私は何も悪いことはしていないのに、悪者あつかいされてしまったことがありました。
「私は何もしていません。」
その一言を言える勇気が、その時にはまだありませんでした。
「ごめんなさい。」
と、あやまってみとめてしまったのです。家に帰ってから、私はくやしくてくやしくて、お布団の中でいっぱい泣きました。その時も大豆と小豆に支えてもらい、気持ちを落ち着かせていきました。そのような事が何回かあり、その度に大豆と小豆に助けてもらっていました。しかし、三年生、四年生と成長するにつれて、私は変わっていきました。自分の意見や考えを、はっきりと相手に伝えられるようになりました。もし、また低学年の時のようなことがあっても、今ならきっと、
「私は何もしていません!」
と、はっきり言えるでしょう。もう、気持ちが弱かった私はどこかへ行ってしまいました。悲しいことやいやなこと、不安に思うことがあっても、大豆と小豆にたよることはなくなってきました。本を読んで気持ちを落ち着かせたり、妹や弟と遊んで楽しい気分に変えたり、自分自身で気持ちを整理できるようになったのです。
 大豆と小豆の存在が、私の心を大きく強く成長させてくれたような気がします。すぐそばで、はげましてくれたから辛いことも乗り越えられたのだと思います。
 今でも時々お母さんが聞いてきます。
「もうそろそろ取ろうか?」
「まだこのままでいいよ。」
でもいつの日か、お別れする日がやってくるのかな。それはもっともっと私の心が強くなった時でしょうか。お母さんがつけているような、きらきら輝く本物のアクセサリーをつけたくなった時でしょうか。それとも、きらきらはしていないけれど、神様がプレゼントしてくれた私だけの特別なアクセサリーをずっと身につけていくのでしょうか。
 同じ日に生まれ、いつも一緒に過ごしてきた大豆と小豆。私たちの成長物語がいつまで続くのかは、まだ誰にもわかりません。

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