受賞作品展⽰ 作⽂部⾨
令和6年度(第61回)受賞作品

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全国都道府県教育長協議会会長賞

おぼろ月

千葉県 千葉市立新宿小学校 3年

玉田 陽菜

 「お母さん、今日は月がきれいだね。」
「あれは、おぼろ月って言うんだよ。」
ある夜、わたしとお母さんは空を見上げながらそんな話をしていた。
 おぼろ月とは、ほんのりとかすんでいる月のこと。わたしは、その時に初めておぼろ月を知った。
「ふーん。あのぼんやりとしている月がおぼろ月なんだ。なんだかすてき。はっきりと見る月よりも、この月の方が好きかも。」
と、思った。
 数ヵ月がすぎたべつの夜、わたしはまたお母さんに、
「今日もきれいなおぼろ月だね。」
と、言った。お母さんは、
「え?今日はきれいな三日月だよ!」
と、答えた。どうしてわたしにはおぼろ月に見えているのに、お母さんには三日月に見えているんだろう。わたしはふしぎでしかたなかった。
 家に帰ってからわたしはなぜなのか考えてみた。そして一つ思い当たることがあった。わたしは目がわるいのだ。二年生の秋ごろからしりょくが下がり、メガネをかけるようになっていた。はじめてメガネをかけた時、今までぼやけていたしかいがはっきり見えるようになり、とてもうれしかったことをよくおぼえている。「そうか!メガネをかけていないからだ!」答え合わせをするように、わたしはメガネをかけてもう一ど月を見上げた。すると、きれいな三日月がはっきりと見えた。
 次に、メガネをはずして月を見るとやっぱりそこにはおぼろ月があった。「やっぱり!メガネがあるとないとでこんなにも見え方がちがうんだ。」わたしは、おどろいた。しかしそれと同じくらい、見えないことにさみしさを感じた。そしてその時、わたしがなぜおぼろ月を好きと思ったのかが分かった気がした。それは、メガネをかけないで自分のありのままのしりょくで見る月とおぼろ月が同じように見えるからだ。だからわたしはおぼろ月が好きなのだ。目がわるくて月がはっきりと見えないのはとてもざんねんだけれど、自分の目で見るおぼろ月もすごくきれいだと思った。うまく言えないけれど、わたしはスッキリした気持ちになった気がした。
 テレビを見る時やべんきょうをする時、メガネはひつよう。それでもわたしは、これからも月を見る時だけはメガネをはずして、おぼろ月を楽しもうと心に決めた三年生の夏休みだった。
 八月のある夜、わたしはそっとメガネをはずしてお母さんに言った。
「今日も月がきれいだね。」

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