受賞作品展⽰ 作⽂部⾨
令和6年度(第61回)受賞作品

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全国都道府県教育長協議会会長賞

大きくなったお母さんと私

愛知県 岡崎市立六ツ美南部小学校 6年

畔栁 来蘭

 「トントントントン」
「ジュー」
 私が学校から帰り、げんかんを開けると、おいしいごはんのにおいがします。習い事の前に夕飯を食べる私のために、料理をしながら「おかえり」とお母さんがむかえてくれます。当たり前みたいだけど、私にとってはとても大きなことなのです。
 私のお母さんは、私が五年生になってすぐ大きな病気が見つかり、入院してしまいました。私は、お母さんの病気がどんな病気なのかはよく分りませんでした。ただ長い入院になることはお母さんから聞いていたので、大変なんだなと思っていました。でもその時の私は、お母さんの病気のことよりも、私の学校や習い事の準備はどうなるの?と、自分の心配ばかりをしていました。その中でも、私が一番心配だったのは、バレエのコンクールの準備です。バレエは、お母さんの助けがなければできないことがたくさんあります。シニヨンという、かみの毛をお団子にするセットも、コンクールの時はピシッとされいにまとめなければいけないのに、私はまだ自分の力では完ぺきにできず、とてもあせっていました。コンクールにかぎらず、レッスンの時もシニヨンにしなければいけないので、自分でやってみたけど、うまくできずに泣いて泣いて、おばあちゃんやおじいちゃんをこまらせていました。
「やってあげるよ。」
と言ってくれるおばあちゃんや、おばさんの言葉にも耳をかさずに、意地になって泣きながら自分でやっていました。それでもなかなか上達せず、コンクール当日は先生にお願いしなければいけなくなりました。お母さんがとつぜんいない生活になるなんて、考えたこともなく、シニヨンもいつか自分でできる様になればいいや、と思っていて、レッスンの時からお母さんにやってもらっていたので、私はとても困ることになりました。自分でやって来なかったことを後かいしました。
 お母さんのいない生活が始まって困ったことは他にもありました。おばあちゃんの家で暮らしている時は、おばあちゃんが料理もしてくれて、おいしいお食事をさせてもらえていました。でも、時々仕事がお休みの日に、お父さんと過ごした時は、お父さんも私も料理ができなくて、買って来た物を食べたり、おばあちゃんに料理だけ作りに来てもらったりしていました。その時の私はまだ、料理に関心もなく、小学生の自分はできなくて当たり前だと思っていました。
こうして私は、お母さんのいない生活を7ヶ月過ごし、ついにお母さんが退院して帰って来ました。この7ヶ月の間、一時退院は何度かしていたけれど、ほんの数日でまた病院に帰ってしまったので、これからずっとお母さんが家にいてくれることが、本当にうれしかったです。おばあちゃんが作ってくれた食事も、お父さんと食べた食事も、どれもおいしかったけれど、私は久しぶりにお母さんの作った料理が食べられて、とてもおいしくて、幸せだなぁと思いました。
 そして私は、お母さんが戻って来た後から料理がしたいな、お母さんを手伝いたいな、という気持ちがわいて来ました。今まで私は、お母さんの料理や家事のお手伝いをしたことは、ほとんどありませんでした。でも、お母さんのいない7ヶ月間を過ごして来て、私ももっと自分で何かをする、ということをすすんでやっていかないといけない、と感じました。
 お母さんが退院して数ヶ月がたった時、私はお母さんの病気ががんだと知りました。お母さんが私に話してくれました。
「もう治ったと同じじょうたいになったから、大丈夫。」
と、お母さんは私が怖がらない様に、明るく伝えてくれました。治りょうでかみの毛もなくなってしまったお母さんを見ていたので、大きな病気だとは分かっていたけれど、それががんだとは思っていませんでした。小学生の私でも、がんは死んでしまうかもしれない、怖い病気だということを知っています。お母さんは、面会もできない病院でたった一人でがんの治りょうを受けてたたかっていたんだということを知り、お母さんがとてもかわいそうになりました。でもお母さんは、
「大きな病気とたたかったから、強くなったよ。それから、人のいたみも分かる様になったし、つらい思いをしている人によりそう心もできたよ。」
と言っていました。私のお母さんは、パワーアップして帰って来ました。
私が学校や習い事から帰って来た時に、お母さんがむかえてくれることは、当たり前みたいだけどとても待別なことで、当たり前みたいなことがふつうにできて暮らせることは、とても幸せなことだと、私はお母さんを通して知ることができました。
 そして、いつだれが大きな病気になるかなんて分からず、命がどれだけ大切なものかということも考えられる様になりました。
お母さんが入院した日から一年が過ぎ、今ではシニヨンを上手につくることができる様になりました。そして、簡単な料理も一人で作れる様になりました。お母さんと同じ様に、私も少しだけパワーアップしました。

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